異類婚姻譚

読書&音楽生活

今年は年始早々高熱が出て寝込んだかと思えば、咳が止まらなくなったり、腰を痛めたり。

なんだか厄年のようだなあと思っていたら、今度は耳と頬が腫れあがり高熱が出て。

年度末の超忙しい時期にも関わらず、休みを取って昨日は町医者、今日は国立病院とお医者さん行脚。

 

結局、疲れから細菌にやられて耳下腺炎というのになったってことみたい。

が、休んでしまったので、月末の納期までに納品物を間に合わせるために、また忙しく。

ちなみに、お上の仕事は未だに大量の紙のドキュメントを印刷しなくてはならず、これだけでもなかなかの労力なのです・・・。

 

という話は関係なく、私のフェイバリット映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の作者である、本谷有希子センセイの「異類婚姻譚」をば。

 

 

 

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読んだのは年始の頃だったので、ちょっと忘れかけてるのですが、感想などを軽くメモ。

 

本作はタイトル作を含め4作が収録された短編集。

「異類婚姻譚」とは人間と人間以外が結婚をする話のことで、天女の羽衣とか鶴の恩返しなんかもその一種のようで。

ちなみに「譚」(たん)は話という意味だけど、個人的には「ちょっと奇妙なお話」というニュアンスがある気がしている。

奇譚というのもあるけど、譚がそもそもそういう意味がある的な。

 

そこから着想を得たってことなのかしら。

結婚なんてものは、そもそも人間同士であっても別の生き物が一緒に暮らすようなものだ、ということなのかな。

夫婦の間に生じる色んな軋轢なんかを、不思議な昔話風に例えて描いてみたという事かと思いきや。

夫と妻の顔がだんだん似て来たというのが、雰囲気とかそんな話じゃなくて本当に同じ顔になって、挙句の果てに夫が綺麗な花になってしまうとか、もはや何の暗喩なのかわけがわからんぞ、という妖怪もびっくりな狐につままれ具合。

流石の本谷節で、ブッ飛んでんなと思います。

 

ただ、この作品から絞り出された、なんだかうまく言語化出来ないエッセンスのようなものは、日頃、結婚生活とか人生で作り出される澱のようなネガティブな部分を的確に表す形容詞になってる感じで、なんだかすごくよくわかる気がしました。

 

2話目の「トモ子のバームクーヘン」の「永遠に続くクイズ」の話なんかは秀逸です。

逃げ出したくなっても逃げられない目の前の日常の嫌な感じとそっくりで。

 

他所の事はわからないけど、たぶん多くの夫婦がたくさんの不平不満を抱えてるんだろうなとは思う。

じゃあなんで一緒に暮らしているんだろうね、という事になるけど。

 

私が感じてることの1つに「人はどんなに親しくても所詮は他人で分からないし分かり合えない」というのがあって。

若かったころ大好きな人にそう言われて、すごく悲しいと思ったことがあるのだけど、今は自分がホントにそう思う。

埋められない部分があって当たり前だけど、そこに向き合うのは労力のいることだし、夫婦だからといって何でもかんでも埋めたくない部分だったりもする。

 

あと、結婚してからよく思うのは「良いことと悪いことの数を数えちゃダメ」ということ。

数えたら悪いことの方が、少なくとも自分の場合はずっと多いので、数だけ見てたら成り立たない。

じゃあ、何故続けてるのか。

うーん、本当に謎ですね。

 

本作は特にその答えとかそんなものは描いてなくて。

不満の形とか、自分の生き方って何だろうねと考える機会を与えてくれる感じがしたかなあと思いました。

 

でも、違う生き方をしていても、それはそれで不満なんでしょうね、きっと。

 

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