もの食う人びと

喉の奥がヒリついた。

僕はオカルトな人間ではないけど、
文字通り血反吐を吐くような体験から宿された熱量は
時を越えても冷めることなく伝わり続けるものだなあと思った。
それが音楽でも絵画でも文章でも。

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食べるということ。

このまさに生命の営みの根幹に関わる行為を通してみると
たとえどんなに着飾ったよそ行きの顔をしつらえても
無味乾燥な統計でもなければイデオロギーの色眼鏡も通すこともしていない
人のただ生けとし生けるものとしての本質と本音が見え隠れしてしまう。

さて、時は1993年。
世界を取り巻く状況は大きく変わってしまったかもしれないが
自ら世界中の人びとの日常に飛び込み、ともに食うという体験を通じ
ただそこにある無数の人びとの「リアル」を伝え続けたエネルギーは
やはりすさまじいと思った。

また、今だからこそ特別に感じるエピソードもあった。
チェルノブイリだ。

筆者は、彼の地に赴き、村人達と食卓を囲む。
多くは経済的理由や望郷の思いから死の大地に未だ住み続けるのだが
半ば自棄的な行為であると描いていたのだが、当時の日本からしてみれば
遠い異国の出来事であり、これにまさか未来の日本の姿を
重ねることになろうとは思わなかっただろうなあ・・・。

なんにせよ、面倒なことは置いてみても、純粋に面白い。
あとがきでディティールこそが大切だと書いているように
エピソードの一つ一つがとても生き生きしているのですね。
そういう意味でも蛇足は何気に大事だと思うのよね、むしろ本質かもしれない。
自分もツーレポを書いてみたりはするものの
同じ旅の話でも語り手の力量が全然違うなあヤッパシ、と唸ってしまった。

そんなわけで辺見庸の「もの食う人びと」を読んだ。

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